鞍馬流 習成館
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創立1879年勝海舟命名剣道場
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鞍馬流について

鞍馬流の概要

鞍馬流剣術

 都の鞍馬山には、源義経(牛若丸)(1159年〜1189年)が、鬼一法眼に就いて修行し、超人的な腕前に達した、との言い伝えがある。鬼一法眼は義経の他、鞍馬の八人の僧兵へ武術を伝えており、これが鞍馬八流、または京八流と呼ばれているが、確かなことはわかっていない。流祖の大野将監(天正年間(1573年〜1593年)の人)が何人について修業し、この刀法を編み出したかは戦災により秘伝書焼失のため明言できないことは残念である。鞍馬と名のつく流派は剣・槍・棒・抜刀などいくつかあったが、剣術では将監鞍馬流(しょうげんくらまりゅう)だけとなってしまった。
 将監鞍馬流は、天正年間に大野将監によって創始され、林崎甚助、加藤玄蕃、幕末から明治にかけて、14代金子助三郎、15代宗家を継いだ柴田衛守が流派の中興の祖といわれている。柴田衛守は直参旗本出身で、八歳の時金子助三郎に入門、助三郎の子熊一郎に師事して修業、十八歳で免許皆伝。十九歳で明治維新を迎え、明治12年四谷警察署の撃剣世話掛となり、東京四谷に習成館道場(勝海舟命名、1879年創設)を開いて門人を育てる。大正4年大日本武徳会剣道範士、警視庁剣道主席師範をつとめる。衛守の子勧(すすむ)(警視庁、貴衆両院剣道師範)と受け継がれたが、昭和20年の戦災で習成館道場は焼失し、鞍馬流の秘伝書、古文書、武具など全て灰となってしまったのは誠に惜しい極みである。その後勧の子17代柴田鐵雄により道場は近代的施設に再興され、今日まで鞍馬流剣術と現代剣道の稽古が盛んに行われている。現在は鐵雄の子柴田章雄が18代宗家として鞍馬流と、東京にある個人の剣道場では一番古い剣道場習成館を継承している。
 鞍馬流の木刀の形は、蛤刃の太い木太刀を使って行い、気迫に富んだ発声をもって演武するのが特徴である。形は七本ありその名称は、正當剣、閃電、燕飛、青眼、変化、気相、水車である。五本目の変化は、「警視流木太刀の形」の二本目に採用されている捲き落とし技で、現代剣道においても大いに活用されている。鞍馬流居合は五本あり、その名称は一文字、胸之位、戻り打、上段、地摺である。

系譜

流祖大野将監 … 林崎甚助 … 加藤玄蕃 … 金子助三郎 ― 柴田衛守 ― 柴田勧 ― 柴田鐵雄 ― 柴田章雄

流祖よりの伝系

流儀の特徴

鞍馬流剣術

 鞍馬流の木刀の形は、蛤刃の太い木太刀を使って行い、気迫に富んだ発声をもって演武するのが特徴である。形は七本ありその名称は、正當剣、閃電、燕飛、青眼、変化、気相、水車である。形は一本目より三本目までは、目録の事と云って基本技を中心として組まれており、四本目より七本目までは、口伝の形でこの流派の奥義であり、返し技が多く、鎬の使い方に特徴があり、仕太刀の「後の先」の技を引き立てるように組まれている。一本目の正當剣は、現代剣道の正面打ちのお手本のようなものであり、五本目の変化は、「警視流木太刀の形」の二本目に採用されている捲き落とし技で、現代剣道においても大いに活用されている。
 鞍馬流居合は五本あり、その名称は一文字、胸之位、戻り打、上段、地摺である。

教訓歌 器用をも得手も達者もたのむまじ ただねり込みて功をつむべし

鞍馬流入門について

 現在の鞍馬流形稽古状況は、毎週月・水・金曜は午後6時半〜7時、火曜は午後6時半〜7時半、第2・4土曜日は午後5時半〜6時まで、習成館道場で現代剣道と併せて鞍馬流稽古を行っています。木刀の素振り・形稽古、居合だけでは手の内ができない、と考え防具着用した竹刀剣道も行いながら、技量・人物に応じながら、鞍馬流を指導しています。入門希望の方は、一度見学に来ていただきお話をさせて頂いた後に入門許可になるかを判断させて頂きます。他流との掛け持ちはできません。

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